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障害児の母とは?
障害児の母のイメージってどんな感じですか?
有名な方で言うと
辻井伸行さんのお母様とかでしょうか。
辻井さんが2歳の時にピアノの才能があることに気が付いて、
素晴らしい先生を探し出して、
レッスンを受けさせたそうです。
それからの活躍はテレビなどでたくさん流れていますよね。
私もたくさんテレビなどで辻井さんとお母様の話を観ていましたし、
周りも障害児の母になった私を励ますように
「つる長男にも何か才能があるかもしれないから、
見つけて育ててあげてね」と
声をかけてきました。
子供に障害があって、いっぱいいっぱいの時期に、
これは結構きつかったです。
それから、障害児の母ってなんか
優しくて、おおらかで、自己犠牲の精神で・・・
そんな感じで子供を育ててる感じがしませんか?
完璧な母でいなくてはいけないような
そんなイメージ。
私はずっとそんなイメージにとらわれていました。
障害児って何かの才能があるの?
辻井さんだけじゃなくて、
書道家の金澤翔子さんも障害は違いますが、
ものすごい才能の持ち主ですよね。
あとはエジソンやアインシュタインも障害があったといわれています。
これって、
「障害がある人=才能がある人」なわけじゃなくて
「障害がある人の中に一握りの才能がある人がいた」
っていうことなんです。
それなのに、障害のある子を産んだ母親に
つい慰めの言葉としてみんな
「なにかすごい才能があるかもしれないよ」
って結構安易に言ってしまうんですよね。
その言葉が母親たちを苦しめることに気づかずに。
だって、才能を見つける以前に、
きちんと暮らせる大人に育てることができるのか
わからないような現実に
母親たちは比較的早い段階で直面してしまうのですから。
理想的な母親でいられない苦しみ
これには結構私自身やられました。
新生児って障害があろうとなかろうと
育てるのはものすごく大変です。
育児ノイローゼになる人が一定数いるのも
ものすごくよくわかります。
それだけでも大変なのに、
障害のある子を育てるのって、
プラス大きな不安が常に頭と心の中にどっしり居座っているのです。
私は毎日なんとか一日を終わらせるので精いっぱいで、
「いい母親であること」「子供の才能を見つけてあげられる母であること」
そんなことは到底無理でした。
周りから求められている(と私が感じている)母親像と
実際の自分のギャップにものすごくやられる毎日でした。
だからもし、今障害児の母になったばかりの人に会ったら、
「大丈夫。毎日母と子で生きてるだけで立派だから!」と
伝えたいです。
無理をする必要なんて全くないし、
心のザワザワが増えると
親子共々良いことないですからね。
子供が大きくなってきて思うこと
まだ大きくなって・・・というほど大きくなってはいませんが、
以前ほど手がかからなくなった今思うことは、
「もう少し余裕をもって子育てをすればよかった」
それだけです。
子供に手がかかるといっても、
仕事はしていなかったし、
家事も手を抜きまくっていました。
それなのに、毎日気持ちが忙しすぎて、
焦ってばかりいました。
時間が解決することも多いのに、
そんなことに気づく余裕もありませんでした。
もちろん、小さいころにこんなことをやっておけば良かったなと
思うようなこともあります。
でも、あの時はそこまでできなかったし、
十分頑張ったと思います。
だって、今子供たちは私の目の前にいるし、
それなりに幸せそうにしているので。
音楽の才能も、スポーツの才能も、ずば抜けた学力も
何もないですけどね。
あとは自分の幸せを自分で見つけられるように
サポートしてあげるだけだと思っています。